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続・ルーツを探す旅6
投稿者:
いしく
投稿日:2003年11月18日(火)15時30分53秒
綱川家といえば佐竹家と言うこの関係は切っても切れない関係で歴史を遡っていくと両家の関係は深い絆で結ばれていることが良くわかる。綱川が歴史上に出てくるのは佐竹義重の息子(綱川内記信道)としてでその関係から見てかなり地位の高い位置にいたと思われる。
特に義重と関係を持った綱川家の女性と言うのが、わが一族にはとても重要な人だ。それがどのような人だったのかまだ、わからないがもの凄く気になる存在だ。
「那須記」によれば天正年間に稲毛田城主に綱川右近(宇都宮国綱の家臣)と言う名前が記されている。なんと、殿様にもなっているのだ。
私のルーツを探す旅はまだまだ、先があるようだ。
続・ルーツを探す旅5
投稿者:
いしく
投稿日:2003年11月14日(金)23時58分54秒
綱川家は昭和の初め町長を二期務めたほどの名家でこの町の人々は綱川を知らない人がいないほどである。吉村先生と歴史の話で盛り上がっていると細川家の話になってまた、私は驚かされた。
江戸時代徳川家が国を統一すると茂木城は細川氏によって納められた。殿様が細川氏になったことで今まで茂木城下で川のつく氏名が細川と同じ川を使ってはいけないと言うなんとも無理なお達しが出てしまった。
そこで川のつく氏名の人達(小川・川上・川村・石川)などは川の字を河に変え三百年その名前を使っていたそうである。それが明治になり新しく戸籍を作る時に元の川に戻す人とそのままの河を使う人とに分かれたわけである。私は、これまで綱川と綱河は初めから違う氏名だと思っていたのだが実は元は同じ名前であることが判明した。
歴史のちょっとしたいたずらがあったようだ。これだから歴史は面白い!!
続・ルーツを探す旅4
投稿者:
いしく
投稿日:2003年11月12日(水)21時29分23秒
町の歴史といえば、やはり役場に行けば何か手がかりがあるに違いないと思い、町の地図をもらい直ぐに役場に直行した。役場は叶屋から5分ほどの距離で正面の入り口を入ると直ぐに観光課がありドアを開け、私がここにきた理由を話すとあの老人の名前がそこにも登場した。しかも、もう直ぐここにやって来ると言うことで私の胸は高鳴る鼓動で一杯になった。20分を過ぎた頃、吉村先生は現れた。この方は茂木高校の元校長先生をなさった方で茂木町の歴史にはかなり詳しい人のようだ。話が進んでいくうちに綱川という名前はこの町には深いかかわりをもっていることに驚かされた。次々に出てくる話にどんどん惹きつけられる自分がいる。歴史と言うのは事実に基づいている小説のようだ。
続・ルーツを探す旅3
投稿者:
いしく
投稿日:2003年11月 4日(火)19時36分35秒
蕎麦屋を後にしてしばらく歩くと八雲神社の鳥居が目に入った。境内に入るとなかなか趣のある神社で、聞くと茂木町では由緒ある神社らしい。狛犬は昭和八年の江戸尾立ち、たぶんこのまちの石工の手によって彫られた物だろう。(次の日に同じ形のものを荒樫神社で見る)私の先祖もこの神社に参拝にきたことだろう。そんなことを思い浮かべて神社を後にする。
時間も三時を過ぎ今日中に東京にかえることをあきらめて今日はこの町に泊まることにしようと思い神社の鳥居を出ると直ぐに叶屋という旅館が眼にとまった。かなり歴史のありそうな旅館である。引き戸を開けなかに入ると直ぐに女将さんが笑顔で現れた。客は他にはいないみたいで館内は静まり返っていた。私は女将に今日の宿泊を頼み茂木町にきたわけを話すと先ほど蕎麦屋で聞いた名前がまたしてもそこに出てきた。この町にはこの人ほど歴史に詳しい人はいないみたいである。こうなると是非逢って見たいものだ。女将に逢いたいことを伝えると早速自宅に電話をしてくれた、があいにく不在のようで連絡はつかなかった。そこで私は一つのアイデアを思いついた。
続・ルーツを探す旅2
投稿者:
いしく
投稿日:2003年11月 3日(月)15時19分41秒
茂木町。このまちのどこに私の源流があるのだろうか?東京から三時間かけてようやく駅にたどり着いた。駅から歩き始めてすぐに一軒の蕎麦屋に足を踏み入れることになった。時間も二時を過ぎていて客もなく、私一人で店は静寂だった。新そばが妙に懐かしく心に深く染み入る。私のDNAにはそばと言うものが深く刻まれているものだとその時に確信した。
店主に私が茂木町にきた理由を話しこのまちの歴史に詳しい人を尋ねると一人の老人の名前がでた。後にまた同じ名前を聞くことになるとは思わなかったので聞き流してしまったがそのときは気にも留めることも無かった。
続・ルーツを探す旅
投稿者:
いしく
投稿日:2003年10月30日(木)16時01分57秒
栃木県茂木町。この街に綱川という氏名が多いと言うことは常々父親からいやというほど聞かされていた。単純にその町にいけば綱川さんが多い町ぐらいに私は感じていたのだが、これが調べていくうちに歴史の重さに打ちのめされる事になった。戸籍がわかるのはせいぜい四代まえまでで
これから先はなかなか調べることができないものである。私が今回茂木町に行くことにしたのは一つにやはり自分のルーツに疑問を持ったからで、人間と言うものは今の自分がある以上絶対に血は受けつながれている。途切れてしまえばそこで、ジ・エンドになる。逆に言えば今まで続いてきたと言うことは今現在までつながれて来た一本の綱なのだということだ。
ルーツを探す旅パート3
投稿者:
いしく
投稿日:2003年 8月21日(木)20時50分13秒
新潟県北蒲原郡水原町安野町にある浄泉寺に私の祖父長松の墓がある。
今度の旅で初めて祖父の墓参りがかなった。浄泉寺の住職と話をしているうちにわかった事があるそれは、祖父長松の墓は私の父である貞司が作り、たて上げたものであった。昭和24年7月まだ北海道に移住する前の話でその辺のことも浄泉寺の住職に話を聞くことができた。
そこで是非、私の作品もこの浄泉寺に置いて欲しいとお願いしたところ快く承諾して頂けました。
これで父とわたしの作ったものが一つの寺に収まることができた。こんなことはなかなか出来ないもので、私が生まれた北海道であればそれも簡単な話なのですが、父が生まれた新潟にそれができたということが私にとってはとても重要なことなのです。
またひとつわたしが生きた証を残すことができたことが嬉しい。
ルーツを探す旅パート2
投稿者:
いしく
投稿日:2003年 8月16日(土)22時54分46秒
今度の旅ですばらしい事実がわかった。私の先祖である寅蔵の戸籍があった豊浦町で古い戸籍を頼りに探していたところ偶然に昔のことに詳しい人を知ってる人にめぐり会えて話をきくことができた。私が実は綱川の家を探していると言ったところ、なんと向かいの家が元の綱川家であることがわかった。私の先祖が(祖父長松)が生まれ育った場所がそこにある。なんとも感慨深い瞬間だった。さらに驚くことにその方の同級生に綱川幸作という人がいて昔一緒に良く遊んだ仲だと懐かしんでいました。その方こそ林家しん平師匠の父親なのです。
しん平師匠の祖父徳松と私の祖父長松は兄弟でしん平師匠と私が親戚関係にあることが判明したのです。
なにか今回の巡りあわせは先祖が私に引き合わせてくれたようなきがします。この広い日本の中で
離れ離れになっていた親戚がわかるなんてこんなこともあるのですね。
人間の因縁すら感じてしまいます。
益々、自分のルーツの深さを感じました。
ルーツを探す旅
投稿者:
いしく
投稿日:2003年 8月 9日(土)23時06分43秒
7月28日から新潟の佐渡に行く仕事があったのでこの機会に自分のルーツを探る旅をしました。
昨年父が他界して今行かなければ自分のルーツがわかる機会が無いようなきがして思いきって新潟を回ってきました.水原町、豊浦町ここが私の祖先が生活していた町でした。
一面に広がる水田、昔先祖が見たと思われる景色を見たときに私は懐かしさを感じました。
この風景は私の宝物です。
これからの私の人生の中に刻み込まれた瞬間です。
HP
投稿者:
ピクうる管理人
投稿日:2003年 8月 9日(土)08時54分42秒
製作の件は、どうしまう?
お盆休みに、飲みましょう
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